浦和地方裁判所 昭和60年(ワ)1081号 判決 1992年11月27日
原告 株式会社山一建設
被告 国 ほか五名
代理人 加藤美枝子 片柳和弘 小柳稔 菅村敬二郎 萩原一夫 山畑正 ほか二名
主文
一 被告内田博、同大隈清美及び同織田一郎は、原告に対し、各自金一億二三三九万八八四四円及びこれに対する昭和六〇年五月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告鈴木義三は、原告に対し、金一億二三四一万八八四四円及びこれに対する昭和六〇年五月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告の被告内田博、同大隈清美、同織田一郎及び同鈴木義三に対するその余の請求をいずれも棄却する。
四 原告の被告大久保雄司及び同国に対する請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用のうち、被告内田博、同大隈清美、同織田一郎及び同鈴木義三に生じた費用の二分の一と原告に生じた費用の三分の一を被告内田博、同大隈清美、同織田一郎及び同鈴木義三の負担とし、被告内田博、同大隈清美、同織田一郎及び同鈴木義三に生じたその余の費用、原告に生じたその余の費用並びに被告大久保雄司及び同国に生じた費用を原告の負担とする。
六 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自金二億三六九〇万三七九二円及びこれに対する昭和六〇年五月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(被告内田博、同大隈清美、同大久保雄司、同織田一郎及び同国)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 仮執行免脱宣言(被告国)
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告内田博及び同大隈清美の不法行為
(一) 被告内田博(以下「被告内田」という。)と同大隈清美(以下「被告大隈」という。)は、昭和六〇年四月ころ共謀の上、被告内田の実兄訴外内田芳榮(以下「訴外芳榮」という。)の印鑑登録証明書を盗用し、同人所有の別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を被告内田名義にした上、第三者に売却することを企図した。
(二) 被告内田は、右企図に基づき、同月二〇日、訴外芳榮が同年三月五日同人所有の土地(浦和市原山四丁目一三二番九宅地一〇三・一〇平方メートル、以下「訴外土地」という。)について訴外和田工業株式会社(以下「和田工業」という。)への所有権移転登記手続申請書類として浦和地方法務局(以下「本件登記所」という。)に提出した印鑑登録証明書(以下「本件印鑑登録証明書」という。)を本件登記所の係官の目を盗んで切り取って、窃取した。
(三) 同人は、同月二二日司法書士の被告大久保雄司(以下「被告大久保」という。)に対し、被告内田及び訴外芳榮の母から受け継いだ印鑑(以下「本件印鑑」という。)を押捺して作成した訴外芳榮名義の登記申請委任状(以下「本件委任状」という。)、本件印鑑登録証明書、被告織田一郎(以下「被告織田」という。)及び被告鈴木義三(以下「被告鈴木」という。)各作成の保証書(以下「本件保証書」という。)等の登記申請書類を交付して、本件土地について、訴外芳榮から被告内田への贈与を原因とする所有権移転登記手続を依頼し、同月二三日被告大久保をして本件登記所に右所有権移転登記手続申請(以下「本件登記申請」という。)をさせ、さらに、本件登記所から訴外芳榮に対して通知された登記申請の意思確認の通知書について、予め郵便局に局留めにする手続をとった上、被告内田自らこれを受け取り、右通知書の登記申請に間違いがない旨の回答欄に訴外芳榮の署名をした上、本件印鑑を押捺し、被告大久保に交付して、本件登記所に提出させた(以下、右通知書を「本件通知書」という。)。その結果、同月三〇日受付第二〇七九三号により本件土地について、訴外芳榮から被告内田名義への所有権移転登記(以下「本件登記」という。)がなされた。
(四) 被告内田及び同大隈は、本件土地を被告内田所有の土地であると装い、原告に売却の申込みをした。
原告は、本件土地を被告内田所有に属すると誤信し、昭和六〇年五月二一日同人との間で本件土地について代金一億八〇〇〇万円とする売買契約を締結し(以下、右売買契約を「本件売買」という。)、同人に対し、本件売買代金内金として一億一〇〇〇万円を支払った。
(五) 被告内田、同大隈は、右1(一)ないし(四)の不法行為により、原告に後記5の損害を被らせた。
2 被告大久保の不法行為
(一) 被告大久保は、司法書士である。
(二) 同人は、前記1(三)記載のとおり、昭和六〇年四月二二日被告内田から依頼を受け、同人から受け取った本件印鑑登録証明書、本件委任状、本件保証書等の登記申請書類を使用し、同月二三日本件登記申請をし、さらに、同人から受領した本件通知書を本件登記所に提出した。その結果、本件登記がなされた。
(三) 前記1(四)と同じ。
(四)(1) 司法書士には、不動産登記手続の委任を受けたときは、印鑑登録証明書の印影と登記申請書添付の委任状の登記義務者名下の印影とを慎重に照合すべき義務があり、当該登記申請が真正なものでないことを疑うに足りる相当な理由がある場合は、登記義務者本人の意思に基づくものであるか等の調査をし、当該登記申請が真正なものであることを確認する義務がある。さらに、保証書による登記申請をする場合、特に濫用の危険性が高いので、通知書の回答欄の登記義務者名下の印影について同一性を慎重に確認すべき義務があり、登記申請が真正なものでないことを疑うに足りる相当な理由がある場合には、特に慎重に登記義務者本人の意思に基づくものであるか等について調査して、当該登記申請が真正なものであることを確認すべき義務がある。
(2) 本件印鑑登録証明書の印影と本件委任状及び本件通知書回答欄の登記義務者の印影とを比較すると、一見して、本件印鑑登録証明書の印影の文字は、本件委任状及び本件通知書回答欄の登記義務者の印影の文字に比較して細く、両者に相違があるとの印象を受ける。さらに、肉眼による平面照合により、本件印鑑登録証明書の印影と本件委任状及び通知書回答欄の登記義務者の印影を慎重に照合すると、両者の間には、「内」の字の第三画の「丿」の部分が前者では外枠に接続していないのに、後者では接続していること、後者に比較して前者の「内」の字と「田」の字の間の間隔が広いこと、後者に比較して前者の「内」の字の「人」の部分が直線的であること等の明確な違いがある。
(3) 被告大久保は、本件印鑑登録証明書と本件委任状及び本件通知書回答欄の登記義務者の印影を照合すれば、容易に相違していることを看破でき、登記申請が真正なものでないことを疑うに足りる相当な理由がありながら、登記義務者に登記申請の意思を確認することなく、漫然と虚偽の登記申請をしたのであるから、司法書士としての注意義務に違反し、これにより本件登記を信頼して、本件土地を買い受けた原告に対し、後記5の損害を与えた。
3 被告織田及び同鈴木の責任
(一) 被告織田及び同鈴木は、いずれも訴外芳榮の意思を確認することなく、本件登記申請に必要な登記済証に代わる保証書(本件保証書)に署名、押印し、本件登記申請の保証人となった。本件保証書は、前記1(三)記載のとおり、被告内田によって、被告大久保に交付され、本件登記申請の申請書類として本件登記所に提出され、本件登記がなされた。
(二) 請求原因1(四)と同じ。
(三) 保証書は、登記義務者として登記申請をする者が登記簿上の当該名義人と同一人であることを保証するものであるから、保証書を作成する者は、同一人であることを確認する義務がある。しかるに、被告織田及び同鈴木は、登記義務者の訴外芳榮に何ら確認をすることなく被告内田の言うままに漫然と保証書を作成して右義務に違反し、これにより本件登記を信頼して、本件土地を買い受けた原告に対し、後記5の損害を与えた。
4 被告国の責任
(一) 印鑑照合義務違反
(1) 本件登記所登記官は、登記事務を処理する国家公務員であり、昭和六〇年四月二三日その職務として、前記1(二)記載のとおり被告内田が本件登記所で窃取した本件印鑑登録証明書及び前記1(三)記載のとおり同人が作成した訴外芳榮名義の本件委任状を添付した本件登記申請を受理し、さらに、本件通知書を受理して、同月三〇日に右登記手続を了し、本件登記をした。
(2) 請求原因1(四)と同じ。
(3) 登記官は、登記申請の形式的適否を調査する職務権限及び義務がある。そして、登記官は、登記義務者本人の同一性を確認するため、印鑑登録証明書の印影と登記申請書添付の委任状及び通知書回答欄の登記義務者の印影を慎重に照合し、同一性が認められないときは右登記申請を却下する義務がある。
(4) 本件印鑑登録証明書の印影と本件委任状及び本件通知書回答欄の登記義務者の印影を照合すると、肉眼による平面照合により、前記2(四)(2)のとおりの明確な違いがあることから、登記官は、拡大鏡や印鑑対照検査機等を用いて検査を尽くすべきであり、更には登記申請者をして再度押印させる等して同一性を確認すべきであった。
しかるに、登記官は、右検査も登記申請者に再度押印させる等の手続もとらなかった過失により、本件登記を信頼して本件土地を買い受けた原告に対し、後記5損害を負わせた。
(二) 閲覧監視義務違反
(1) 右(一)(1)と同じ。
(2) 訴外芳榮は、昭和六〇年三月五日、訴外土地について和田工業への所有権移転登記申請書添付書類として、自己の同年一月二八日付印鑑登録証明書(本件印鑑登録証明書)を提出し、以来、本件印鑑登録証明書は、右所有権移転登記申請書附属書類として綴られ、本件登記所が保管していた。
(3) 被告内田は、同年四月二〇日本件登記所において、閲覧申請をした上、本件登記所の業務時間内に係官のいる閲覧場所にて、右係官の目を盗んで、本件印鑑登録証明書を所携のナイフの刃で切り取った。
(4) 被告内田は、本件印鑑登録証明書を被告大久保に交付して本件登記申請を依頼し、同人は、本件印鑑登録証明書を添付して本件登記申請をし、請求原因1(三)のとおり、本件登記がなされた。
(5) 請求原因1(四)と同じ。
(6) 閲覧業務も登記事務に付随する業務であり、登記官は、閲覧中、閲覧者が閲覧書類を持ち帰る、毀損する、切り取ることがないように注意して閲覧させる義務があるところ、右義務に違反し、被告内田に本件印鑑登録証明書を切り取られた。その結果、被告内田に本件印鑑登録証明書を使用され、本件登記を信頼して本件土地を買い受けた原告に対し、後記5の損害を負わせた。
(三) 確認義務違反
(1) 右(二)(1)ないし(5)と同じ。
(2) 閲覧業務も登記事務に付随する業務であり、登記官は、閲覧後、閲覧者が閲覧書類を持ち帰る、毀損する、切り取ることがなかったか否かを確認し、不正があったときには、右不正に基づいて、不正の登記がなされないよう防止すべき義務があるところ、右義務に違反し、被告内田に右登記書類に綴られた本件印鑑登録証明書を切り取られたことを発見できず、その結果、被告内田に本件印鑑登録証明書を使用され、これにより本件登記を信頼して本件土地を買い受けた原告に対し、後記5の損害を負わせた。
(四) 再使用防止義務違反
(1) 右(二)(1)ないし(5)と同じ。
(2) 登記申請書類保管業務も登記事務に付随する業務であり、登記官には、印鑑登録証明書を再度使用できないよう措置をする義務があるところ、本件登記所登記官は、右義務に反し、漫然と本件印鑑登録証明書を保管したため、被告内田に本件印鑑登録証明書を切り取られ、再使用され、これにより本件登記を信頼して本件土地を買い受けた原告に対し、後記5の損害を負わせた。
5 損害
原告が、被告らの不法行為により被った損害は、次のとおりである。
(一) 売買代金内金 一億一〇〇〇万円
(二) 登記手数料 四万四〇〇〇円
(三) 登録免許税 一一〇万三四〇〇円
(四) 不動産取得税 三〇万六七二〇円
(五) 得べかりし利益 六〇〇〇万円
原告は、本件土地を一億八〇〇〇万円で購入し、造成費用等五〇〇〇万円及び建物建築費用(一〇棟分)九〇〇〇万円を支出した上、これを総額三億八〇〇〇万円で販売し、右利益総額六〇〇〇万円を予定していた。
(六) 支払金利 四七八一万四九四八円
原告は、本件土地の売買代金のうち金一億一〇〇〇万円を訴外旧株式会社埼玉銀行(以下「旧埼玉銀行」という。)から借受け、右利息として同銀行に対し、昭和六〇年五月二一日から平成三年一月三一日までの分小計金三七四四万四二九三円のほか、同三年二月一日から同四年三月三一日までの分(四二五日)小計金一〇三七万〇六五五円(年八・一パーセントの割合)を支払った。
(七) 固定資産税・都市計画税 七四万四七二四円
(八) 弁護士費用 一六八九万円
合計 二億三六九〇万三七九二円
6 共同不法行為
前記1ないし4記載の被告らの不法行為は、民法七一九条所定の共同不法行為に該当するので、被告らは、原告に対し、右5記載の損害を連帯して賠償する責任がある。
7 よって、原告は、被告らに対し、右不法行為に基づく損害賠償(被告国について国家賠償)として、各自金二億三六九〇万三七九二円及びこれに対する損害発生の日の翌日である昭和六〇年五月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告内田の認否
(一) 請求原因1(被告内田、同大隈の不法行為)(一)の事実は否認する。同(二)の事実は認める。同(三)の事実中、本件保証書によって本件登記所に本件登記申請をし、本件土地を被告内田名義にしたことは認め、その余は否認する。同(四)、(五)の事実は否認する。原告は、本件土地が被告内田の所有に属しないことについて悪意であった。
(二) 同5(損害)、同6(共同不法行為)の事実は否認する。
2 被告大隈の認否
(一) 請求原因1(被告内田、同大隈の不法行為)の事実は否認する。
(二) 同5(損害)の事実は知らない。同6(共同不法行為)の事実は否認する。
3 被告大久保の認否
(一) 同2(被告大久保の不法行為)(一)の事実は認める。同(二)の事実中、被告内田の依頼によりとある点は否認し、その余は認める。被告大久保に依頼をしたのは、訴外佐藤清(以下「訴外佐藤」という。)である。同(三)の事実は否認する。原告は、本件土地が被告内田の所有に属しないことについて悪意であった。同(四)の事実は否認し、主張は争う。
(二) 同5(損害)、同6(共同不法行為)の事実は否認する。
4 被告織田の認否
(一) 同3(被告織田、同鈴木の責任)(一)の事実中、被告織田が本件保証書に署名、押印し、本件登記申請の保証人となったことは認め、訴外芳榮の意思を確認しなかったことは否認する。同(二)の事実は否認する。
(三) 同5(損害)の事実は知らない。
5 被告国の認否
(一) 同4(被告国の責任)(一)(印鑑照合義務違反)(1)の事実中、本件登記所登記官は、登記事務を処理する国家公務員であること、昭和六〇年四月二三日その職務として、本件土地について訴外芳榮から被告内田への所有権移転登記申請を受理し、同年同月三〇日に右登記手続を了したことは認め、その余は知らない。同(2)の事実は知らない。同(4)の事実は否認する。
(二) 同(二)(閲覧監視義務違反)(1)の事実については、同(一)(1)の認否と同じ。同(2)、(3)の事実は認める。同(4)の事実中、被告内田が本件印鑑登録証明書を利用して本件土地に関して訴外芳榮からの所有権移転登記手続をしたことは認め、その余は否認する。同(5)、(6)の事実は否認する。
(三) 同(三)(確認義務違反)(1)の事実については、右(二)の認否と同じ。同(2)の事実は否認する。
(四) 同(四)(再使用防止義務違反)(1)の事実については、右(二)の認否と同じ。同(2)の事実は否認する。
(五) 同5(損害)の事実は知らない。同6(共同不法行為)の事実は否認する。
三 被告らの主張
1 被告内田
本件土地は、昭和五四年一〇月二五日当時、被告内田及び訴外芳榮の父訴外内田泉松(以下「訴外泉松」という。)の所有に属していた。同人は、同日死亡した。同人の遺産は、当時の時価で三〇億に相当するものであったが、同人は、右遺産の全てを訴外芳榮に贈与してしまった。被告内田は、訴外泉松の遺産について約三億円相当の遺留分を持っていたところ、訴外芳榮から右遺留分を放棄してくれれば、右遺留分相当額の財産を贈与すると言われ、右遺留分を放棄した。ところが、訴外芳榮が右遺留分相当額を贈与してくれないので、同人が追認してくれるものと信じて請求原因1記載の行為をしたものである。また、被告内田は、訴外芳榮が同人に対して提起した本件土地についての所有権移転登記抹消登記手続請求事件(当庁昭和六〇年(ワ)第八三四号)において、右遺留分放棄の錯誤無効を主張し、右所有権移転登記抹消登記手続と右遺留分三億円相当の財産の分与が同時履行の関係にあると主張して、右遺留分三億円相当の分与を求めている。加えて、被告内田は、訴外芳榮ほかに対して、遺留分放棄無効確認請求訴訟(当庁昭和六一年(ワ)第八九八号)を提起し、右訴訟手続においても、原告との本件土地の売買の追認を求めている。このように、本件売買は他人物売買(民法五六〇条)として有効であり、未だ履行不能になっていないので、原告には損害が発生していない。
2 被告大久保(過失相殺)
原告には、本件売買について、次の過失がある。
(一) 本件売買代金一億八〇〇〇万円は、本件土地の当時の相場の約半値であり、極端に安かった。原告に本件土地の仲介をしたのは被告大隈であり、不動産業者株式会社埼玉ワコー(以下「埼玉ワコー」という。)の代表取締役である同人が、わざわざ原告に儲けさせるために本件売買の話を持ち込むことはありえないのであるから、原告は疑念を抱いて調査すべき義務があったにもかかわらず、これを怠った。
(二) 訴外芳榮から被告内田へ所有権移転登記手続がなされたのは、本件売買の直前である昭和六〇年四月三〇日であり、本件売買代金も高額であるから、真実贈与があったか否かを訴外芳榮、被告内田に確認する義務があったにもかかわらず、これを怠った。
(三) 本件土地には、浦和市農業協同組合(以下「浦和市農協」という。)の訴外芳榮に対する債権五〇〇〇万円を担保するため抵当権が設定されていたから、原告は、本件売買代金支払前に右抵当権抹消手続をとることが可能であり、右手続をすれば、本件土地が訴外芳榮の所有に属することが容易に知りえたのに、右手続をしなかった点に過失がある。
3 被告国
(一) 請求原因4(一)(印鑑照合義務違反)について
本件印鑑登録証明書の印影と本件委任状及び本件通知書回答欄の登記義務者の印影の相違点は、いずれも微細なものにすぎず、両印影は、その大きさ、型、字体等が、肉眼では識別困難な程度に酷似している。
また、原告は、本件売買当時、本件土地が被告内田の所有ではなく、本件登記が実体的な権利関係を反映していないことを知っていたから、原告主張の登記官の義務違反と原告主張の損害との間には因果関係がない(後記(二)及び(三)についても同じ。)。
(二) 同(二)(閲覧監視義務違反)について
(1) 昭和六〇年四月当時、本件登記所では、次のような閲覧監視体制が採られていた。
ア 正規職員四名及び閲覧監視担当の臨時職員二名の合計六名が、閲覧の監視に従事していた。また、統括登記官の席が閲覧席の方向に向けて設置されていたため、統括登記官による監視も行われていた。さらに、それ以外の職員の席も、閲覧者の正面、側方、背後に配置され、閲覧席を取り囲むようにして、多方面から閲覧監視に当たっており、本件登記所の全職員が、自己の席を立って、閲覧席の直ぐ後ろにある書庫へ登記簿を取りに行く場合など閲覧席の近くに行く都度、閲覧者の動静に注意し、その手元を監視していた。
イ 二五席の閲覧席を設けていたが、それらの閲覧席は、職員らの席から見通しのよい位置に配置されており、職員から見えない死角に入っているなどということはなく、閲覧者の手元を職員が十分に監視できる配置になっていた。
ウ 一三〇度の角度で自動回転している凸レンズの監視用ミラーを設置しており、閲覧中は常時これを回転させて、閲覧者の行動を映し、これを監視していた。また、右ミラーによって、心理的に閲覧者の不正行為を抑止していた。
エ 閲覧に際しての注意事項八項目を記載したプラスチック製の掲示板を窓口及び閲覧席に設置し、閲覧者の注意を喚起していた。
オ 筆記用具、用紙等を除く手荷物の閲覧席への持ち込みを禁止し、閲覧者用の無料ロッカーを二四個設置し、手荷物をこれに入れるようにし、鞄、紙袋等閲覧者による登記用紙等の持ち出しに利用されるおそれのある手荷物の持ち込みがないよう配慮していた。
(2)ア 本件登記所には、昭和六〇年四月当時、首席登記官以下の正規の職員が三二名、臨時職員が四名(うち二名は閲覧監視担当者であった。)の合計三六名しか配置されていなかった。
しかし、本件登記所の事件数は毎年増加し続け、昭和六〇年においては、甲号事件(不動産登記等の申請事件)の数は一日平均約二五〇件に上り、乙号事件(不動産登記簿の謄抄本や証明書の交付、閲覧等の申請事件)の数は全国的にも昭和五四年当時の二一パーセント増となって、本件登記所の職員一人当たりの負担事件数は、全国でも一、二を争う大量のものになった。また、同年当時の本件登記所の閲覧申請事件数は、一日当たり約三〇〇〇件ないし三五〇〇件に上っていた。
イ 被告内田が登記閲覧中に不正行為を行った同年四月二〇日は、土曜日であるにもかかわらず、甲号事件が一八〇件、乙号事件のうち謄抄本、証明書の交付申請が一八〇〇件前後、閲覧申請が一五〇〇件もあった。午前中しか申請を受け付けない土曜日に、これだけの数の事件が殺到し、これを臨時職員を入れても三六名の職員で処理しなければならず、そのため当時本件登記所の事務は、繁忙を極めていたのである。
(3) 登記所の閲覧事務は、閲覧者の便宜を最大限に図りながら、登記所ごとに人的、物的制約下で可能な限り、閲覧中の不正行為防止に努めるべきであるところ、本件登記所は、右(2)記載のとおり、超繁忙登記所であり、人的制約がありながら、右(1)記載の閲覧監視によって、閲覧監視義務を尽くしていたものである。
(三) 同(三)(確認義務違反)
昭和六〇年四月当時、本件登記所は、前記(二)(2)ア記載のとおりの超繁忙登記所であった。右状況では、原告主張の確認義務があったということはできない。
(四) 同(四)(再使用防止義務違反)について
(1) 印鑑登録証明書の再使用防止対策として、登記申請書に添付する印鑑登録証明書は、その発行年月日から三ヵ月以内のものでなければならないという制限が設けられている。
(2) 本件事件が発生したのは、被告内田が本件印鑑登録証明書の使用可能期間を知りうるほど訴外芳榮と密接な関係にあったという偶然の事情によるものであり、不可抗力によるものである。
(五) 過失相殺
原告は、本件土地が被告内田の所有であると信ずるについて、次のとおり、重大な過失があり、原告の右過失割合は、九割に相当する。
(1) 原告は、被告大隈より、訴外芳榮から被告内田への本件土地の贈与が訴外泉松の遺産相続に関するものであるのに、被告内田は訴外芳榮に秘匿して本件土地を売却しようとしていること、昭和六〇年五月二一日の本件売買の時点では、訴外芳榮に知られると困るため、本件土地の抵当権設定登記の抹消登記手続ができないのに、同年七月三一日までには右抵当権設定登記の抹消登記手続を行う旨被告内田が原告に対して約していること等不可解な点があることを聞いていた。
したがって、原告は、訴外芳榮の被告内田に対する贈与が虚偽である可能性があることを十分認識できたものであるから、被告内田の職業、経歴、信用状況、被告内田の兄弟関係、訴外泉松の遺産相続をめぐる関係を十分調査する義務があったにもかかわらず、これを怠った。
(2) 本件登記における被告内田の住所は、「浦和市原山四丁目二三番三八号」となっており、他方、本件売買の契約書の売主欄に記載されている同人の住所は、「東京都豊島区池袋本町四丁目三七番一二―一〇七」となっている。本件登記は、昭和六〇年四月三〇日に受け付けられたものであり、右契約書はそのわずか三週間後の同年五月二一日に作成されたものであるから、登記簿と売買契約書といういずれも重要な文書中の被告内田の住所が相違する理由を十分に調査する義務があったにもかかわらず、これを怠った。
(3) 本件登記における被告内田の住所は、本件土地の抵当権設定登記(乙区一番)の債務者欄に記載された訴外芳榮の住所と同一である。このことは、被告内田と訴外芳榮が同居していることを示すが、実の兄弟でも被告内田、訴外芳榮の年齢になれば、同居していることはむしろ珍しいので、原告は、同居の理由について調査すべき義務があったにもかかわらず、これを怠った。
(4) 原告は、不動産業者であり、その年間取引高は七億ないし一〇億円であった。これに対し、本件売買代金は一億八〇〇〇万円で、原告の右年間取引高の一八パーセントから二六パーセントを占める高額取引であった。また、原告は、被告内田と従前は一面識もなく、本件売買が初めての取引であった。右の事情から、原告は、本件土地が真実被告内田の所有に属するかについて調査する義務があるにもかかわらず、これを怠り、極めて急いで本件売買を行ったものである。
四 被告の主張に対する認否
1 被告内田の主張に対する認否
被告らの主張1(被告内田)の事実中、本件土地が昭和五四年一〇月二五日当時被告内田及び訴外芳榮の父訴外泉松の所有に属していたこと、同人が同日死亡したこと、被告内田が訴外芳榮が同人に対して提起した本件土地についての所有権移転登記抹消登記手続請求事件(当庁昭和六〇年(ワ)第八三四号)において、遺留分放棄の錯誤無効を主張し、右所有権移転登記抹消登記手続と右遺留分三億円相当の財産の分与が同時履行の関係にあると主張して、右遺留分三億円相当の財産の分与を求めていること、被告内田が、訴外芳榮ほかに対して、遺留分放棄無効確認請求訴訟(当庁昭和六一年(ワ)第八九八号)を提起したことは認め、その余の事実は知らない。
2 被告大久保の主張に対する認否
被告らの主張2(被告大久保(過失相殺))(一)ないし(三)の事実は否認する。
3 被告国の主張に対する認否
被告らの主張3(被告国)(一)(請求原因4(一)(印鑑照合義務違反)について)の事実は否認する。同(二)(同(二)(閲覧監視義務違反)について)(1)及び(2)の事実は知らない。同(3)の主張は争う。同(三)(同(三)(確認義務違反)について)の事実は知らない。同(四)(同(四)(再使用防止義務違反)について)の事実は否認する。同(五)(過失相殺)の事実は否認する。
第三被告鈴木について
被告鈴木は、平成四年二月二一日の期日に出頭したが、請求原因事実を明らかに争わない。
第四証拠関係<略>
理由
一 被告内田、同大隈の責任(請求原因1、被告らの主張1について)
1 請求原因1(被告内田、同大隈の不法行為)について
(一) 請求原因1(二)の事実、同(三)の事実中、本件保証書によって本件登記所に本件登記申請をし、本件土地を被告内田名義にしたことは、原告と被告内田間に争いがない。
(二) 右争いのない事実、<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 訴外芳榮及び被告内田は、訴外泉松の子であるところ、訴外泉松は、昭和五四年一〇月二五日死亡したが、自己の所有する九反歩から一町歩の土地等の財産につき、訴外芳榮以外の相続人に遺留分を放棄させ、遺言により、訴外芳榮に全てを相続させることとしていた。被告内田も、昭和五二年四月一九日浦和家庭裁判所に対し訴外泉松を被相続人とする相続財産について相続開始前の遺留分放棄許可の家事審判申立をし、同年五月二五日右放棄を許可する審判を受けていた。しかし、被告内田は、右遺留分放棄について不満を持っており、自己の遺留分相当額の財産は訴外芳榮から貰えるべきであると考えていた。
(2) 被告内田は、昭和五七年ころから遊興費等の目的で被告大隈及び暴力団姉ヶ崎連合幹部訴外阿出川信太郎(以下「訴外阿出川」という。)から借金をした。被告内田は、被告大隈及び訴外阿出川に対し、訴外芳榮から土地を貰ったら右借金を返済すると述べていたが、被告内田が訴外芳榮から一向に土地を貰えず、右借金の返済もしないので、被告大隈は、昭和五八年一一月ころ、被告内田に対し、右貸金の返還を求め、訴外芳榮から土地を貰えるよう同人と交渉するように迫った。被告内田は、何度となく、訴外芳榮のところへ交渉に行ったが、土地の贈与は受けられなかった。また、訴外阿出川も、被告内田だけでなく同大隈にも交渉に行くよう指示し、同人らは、昭和五九年一〇月に被告内田が訴外芳榮に傷害を負わせて逮捕されるまで、多数回にわたって同人の自宅の前で張り込みをしたり、ビラを張ったりして土地を渡すことを要求した。しかし、土地を渡さないという訴外芳榮の決意は固く、被告内田の右借金の返済の目処が立たなかったので、被告大隈は、昭和六〇年に入ると被告内田の自宅や同人の息子の家へ電話をしたり、訪問し、強く返済を迫るようになった。
(3) 被告内田は、昭和六〇年三月ころ、訴外芳榮が訴外土地を和田工業に売却したのを知り、同人が従前から相続土地は減らさない旨述べていたにもかかわらず右売却をしたことに腹をたてた。被告内田は、右(2)のとおり、被告大隈の借金の取立が厳しくなっていたことから、本件土地について虚偽の所有権移転登記を作出し、本件土地を第三者に売却して、その売買代金で右被告大隈及び訴外阿出川に対する借金を返済する決意をした。そして、同月二〇日、埼玉ワコーの事務所で、被告大隈に対し、右計画を話した。同人は、被告内田の計画に賛成した。
(4) 被告内田は、被告大隈と相談して、本件土地について訴外芳榮から贈与を受けたことにし、右贈与に基づく所有権移転登記手続申請の方法として、右申請に必要な登記済証は保証書をもって代えることとし、司法書士に対する委任状は、被告内田が母から受け継いだ本件印鑑の印影が訴外芳榮の実印と同時に作られたもので、これに酷似していたことから、これを使用して偽造することを決めた。ところが、訴外芳榮の印鑑登録証明書が手に入らないので、被告内田は、同年四月八日本件登記所に赴き、前記(3)記載の訴外芳榮と和田工業間の土地所有権移転登記手続申請書類を閲覧したところ、右申請に使用された訴外芳榮の印鑑登録証明書(本件印鑑登録証明書)が昭和六〇年一月二八日に発行されたものであり、使用期間である三か月内であったので、これを切り取って、窃取し、本件土地の所有権移転登記手続申請に使用することを決意し、被告大隈に相談して賛意を得た。
(5) 被告内田は、同月二〇日、バインダー、わら半紙、カッターの刃二目盛り分を用意し、午前一〇時ころ、本件登記所に赴き、前記(4)記載の訴外芳榮と和田工業間の土地所有権移転登記手続申請書類が編綴された申請書類綴込帳中の別の申請書についての閲覧申請をし、係員から右綴込帳を受け取ると、右訴外芳榮、和田工業間の土地所有権移転登記申請書類を閲覧し、本件印鑑登録証明書を貼付した台紙の綴じ込み部分に近い所を右カッターの刃で切断し、切り取った本件印鑑登録証明書を台紙ごとめくり、その上に右わら半紙を乗せ、メモをとるようなふりをして、本件印鑑登録証明書を右わら半紙の下に隠して、右バインダーに挟み込み、閲覧書類を係官に返却して、本件登記所を出て、本件印鑑登録証明書を窃取した。右切り取りは、瞬間的に行われた。被告内田は、翌二一日右窃取に成功した旨を被告大隈に報告した。
(6) 被告内田は、知人の被告織田及び同鈴木に対し、本件土地について兄である訴外芳榮から贈与を受けることになり、右贈与に基づく所有権移転登記手続に保証書が必要であると言って同人らを欺き、同人らから、本件保証書への捺印を得て、印鑑登録証明書等を受け取った。その際同人らは、訴外芳榮に対し本件登記申請意思の有無を確認していない。また、被告内田は、右(4)記載の計画のとおり本件委任状(<証拠略>)を偽造した。
(7) 被告内田は、昭和六〇年四月二二日訴外佐藤の紹介で被告大久保の事務所(以下「被告大久保事務所」という。)に本件登記申請を依頼した。その際、被告内田は、同大久保と初対面であったが、訴外佐藤は、被告大久保事務所と従前から取引関係のある不動産業者であり、被告大久保の友人の土地売買を斡旋したこともあり、悪い評判のある業者ではなかった。また、被告内田についても悪い評判を聞いたことはなかった。被告内田は、被告大久保事務所に本件委任状、本件印鑑登録証明書、本件保証書、被告織田及び同鈴木の印鑑登録証明書、被告織田の住民票、同鈴木の印鑑登録証明書及び住所変更の証明書、被告内田の住民登録票を持参した。被告大久保事務所の金子寿作司法書士は、被告内田の持参した右書類を点検し、被告大久保も右書類を点検し、本件委任状の印影と本件印鑑登録証明書の印影を照合する方法で訴外芳榮の意思を確認したうえで、右書類を受領し、本件登記申請を受任した。
(8) 本件登記所は、訴外芳榮宛に保証書による登記申請があった旨の通知をしたが、被告内田は、被告大隈と相談の上、予め郵便局に連絡し、訴外芳榮が一週間留守にするので郵便物を局留めにするよう申請し、本件通知書を郵便局で受領し、本件通知書の回答欄に訴外芳榮の氏名を記載した上、本件印鑑を用いて、訴外芳榮名下に押印し、本件通知書(<証拠略>)を偽造して被告大久保に交付した。被告大久保は、これを本件登記所に提出し、本件登記が完了した。被告内田は、同年五月一一日被告大久保事務所で本件土地の登記済証を受け取った。
(9) 被告内田は、同月一二日本件登記が記載されている本件土地の登記簿謄本を被告大隈のところへ持参した。被告大隈は、同内田に対し、本件土地の売却について自分に任せるよう指示し、被告内田は、これを了承した。
(10) 被告大隈は、本件土地を原告に売却することとし、同月二一日被告内田に本件土地の登記済証ほか必要書類を持参するよう命じ、旧埼玉銀行大宮西口支店において、被告内田に右書類を提示させ、本件土地が被告内田所有に属すると原告に誤信させた上、被告内田と原告間に本件土地について代金一億八〇〇〇万円とする売買契約(本件売買)を締結させた。被告内田は、原告から、本件売買代金の内金として金一億一〇〇〇万円(内訳、額面各三〇〇〇万円、三四〇〇万円、六〇〇万円の小切手三通、現金四〇〇〇万円)を受領した。なお、本件土地には、訴外芳榮が浦和市農協を債権者とする債権額五〇〇〇万円の抵当権を設定し、その旨の登記がなされていたが、右抵当権設定登記の抹消登記手続をしようとすると、原告が右農協に債権の残高等の問い合わせをし、右農協から訴外芳榮に連絡されて右(8)の移転登記が同人に知られるおそれがあった。そのため、被告大隈は、原告が右問い合わせをしないよう、原告に対し、被告内田の兄訴外芳榮が本件土地を昭和六〇年中に売ることに反対しているが、同年七月末日までには兄弟間の話し合いができると説明した上、右売買代金のうち金七〇〇〇万円の支払期日を右同日に、右抹消登記手続と引換えとすることとした。
(三) 右認定に反する証拠について検討する。
(1) 被告大隈の関与の有無について
被告大隈は、本件登記について知ったのは、被告内田が本件土地の登記簿謄本を持って来た昭和六〇年五月の連休明けであって、本件登記申請に関与したことはなかったとの供述をしている。
しかし、他方、被告大隈は、同人が被告内田に対し元本四六〇〇万円の貸金債権を有していたこと、昭和五九年三月、五月、九月ころに、それぞれ被告内田とともに、訴外芳榮宅に赴き、被告内田が相続財産の一部を譲渡するよう交渉するのに立会い、昭和五九年九月には、被告内田とともに警察に連行されたこと、埼玉ワコーが本件土地を原告に売却する仲介をし、埼玉ワコーの代表者として、原告との間で、本件売買について、契約日に内金として一億一〇〇〇万円を支払う、訴外芳榮を債務者とする抵当権の抹消登記手続は、同年七月末までに残金七〇〇〇万円の支払と同時に行うなどの売買条件を決定したこと、本件売買代金から元利金合計六四〇〇万円の返済を受けたこと、以上の事実は認める供述をしている。
そうすると、被告大隈は、被告内田に対する債権の回収のために被告内田が訴外芳榮から土地を取得することを必要とし、その土地取得の交渉に深く関与していたということができるし、また、原告との本件売買においても、契約日に売買代金の大部分を内金として支払うという不自然な内容で決定をするについて主導的な役割を果たしている。
右の事実を考慮すると、被告大隈は、被告内田から、訴外芳榮の土地について被告内田名義の登記を作出する方法について打ち明けられて相談を受け、その方法についての事情を知りながら、原告との本件売買の内容を決定したとする被告内田の供述は合理的である。すなわち、<1>被告内田は本件印鑑登録証明書を窃取することを被告大隈に相談し、賛成してもらった、<2>窃取した後にこれを被告大隈に報告した、<3>本件通知書の偽造については通知書を郵便局に局留めにする方法で行うことについても被告大隈と相談した、<4>被告大隈は、訴外芳榮の残債務について原告から抵当権者の浦和市農協に問い合わせがされないようにするため、訴外芳榮は本件土地を被告内田に贈与したものの昭和六〇年の年内に売却することを反対しているから右農協には問い合わせないようにしてほしい旨の弁解を考え出すなどして被告内田に協力した、以上の内容の被告内田の本人尋問の内容や検察官(<証拠略>)及び司法警察員(<証拠略>)に対する各供述調書、刑事事件における被告人質問の内容(<証拠略>)は、大筋において信用することができ、右各証拠に照らし、被告大隈の前記供述は信用することができない。
なお、被告内田の右供述については、当初、通知書の局留めの方法について言い出したのは被告大隈であるとしながら(<証拠略>)、その後、本件の本人尋問では自分が言い出したと変更している(<証拠略>)が、右のような変遷のみをとらえて、被告内田の供述が全て信用できないとすることはできない。
また、被告大隈は、訴外芳榮を債務者とする抵当権の抹消と七〇〇〇万円の支払の履行について自ら原告に申し出た結果、原告が浦和市農協に債務の残高等を問い合わせ、その結果本件の犯行が発覚したとの供述をしている。しかし、右の供述が信用できるとした場合であっても、被告大隈が、本件の犯行が発覚した場合に、自己にまで嫌疑が及ぶとまで考えていたかは疑問であり、右のような申し出を自ら行ったことを理由に、被告大隈は右犯行に関与していなかったとすることまではできない。
さらに、<証拠略>によれば、被告大隈は、本件の犯行に関し、被告内田とともに逮捕、勾留されながら、起訴されなかったことが認められるが、検察官の起訴、不起訴の判断と民事訴訟における事実認定が異なるのはいうまでもないことであって、右不起訴の事実をとらえて被告大隈が右犯行に関与していなかったということはできない。
(2) 原告の悪意の有無について
<証拠略>によれば、被告内田は、刑事事件において、本件売買の際、原告は、本件登記が委任状を偽造するなどの不正な手段によって作出されたことを知っていたとの主張をし、その旨の供述をしていたことが認められる。
しかし、被告内田の右供述も、推測に基づくものでしかなく、<証拠略>によれば、被告内田は、刑事事件の被告人質問において、裁判官から、原告が本件土地の所有者が被告内田ではないと知っていたならば、一億八〇〇〇万円も払うと思いますかとの質問を受け、すぐに自己の供述を撤回したことが認められるから、右の<証拠略>によって、原告の悪意の認定をすることはできない。さらに、原告において、本件土地が被告内田の所有でないことを知りながら、本件売買の後に、訴外芳榮が本件売買を追認することを予測して本件売買の代金の内金一億一〇〇〇万円を支払ったということも考えられないではないが、右のような追認を予想して支払うにしては、一億一〇〇〇万円という金額はあまりに大きくて危険であり、そのような行動を原告がとるとは考え難いから、原告が本件売買の当時、本件土地が被告内田の所有でないことにつき悪意であったとの認定をすることはできない。
また、原告代表者本人尋問の結果認められる原告代表者と被告大隈との長年の付き合いや、本件売買において被告大隈が主導的役割を果たし、売買代金のうちの多くの部分を被告大隈が取得し(前記(1))、現在も被告大隈が原告に返済していないことなどの事情を考慮しても、なお、原告の右悪意の認定をすることは困難である。
(3) そして、ほかに右(二)の認定を覆すに足りる証拠はない。
(四) そうすると、被告内田及び同大隈は、共同して、右(二)(1)ないし(8)のとおり、虚偽の登記である本件登記を作出し、同(10)のとおり、本件土地が被告内田の所有に属するものと原告に誤信させ、本件売買を締結させたのであるから、右不法行為により、原告が被った後記五の損害を賠償する責任がある。
2 被告らの主張1(被告内田の主張)について
民法五六〇条は、有償契約における取引の信用を保護するために他人物売買を有効としたにすぎず、不法行為責任の存否に関して、他人物を自己の所有物と偽って売却した売主の行為を適法化したものではない。
<証拠略>によれば、訴外芳榮が、昭和五九年一〇月当時から被告内田には土地を贈与しない旨明言していたこと、同人が本件原告等に対して提起した本件土地についての所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟では、一審(当庁昭和六〇年(ワ)第八三四号所有権移転登記抹消登記手続請求事件、同昭和六三年(ワ)第六二八号同反訴請求事件)及び控訴審(東京高等裁判所平成元年(ネ)第八八四号所有権移転登記抹消登記手続請求、同反訴請求控訴事件)を通じて、結局、訴外芳榮は本件売買を追認せず、被告内田及び本件原告敗訴の判決がされていることが認められ、右事実に照らすと、本件売買が履行不能になったというほかない。
二 被告大久保の責任(責任原因2について)
1 請求原因2(一)ないし(三)の事実については、前記一1(二)(7)ないし(10)のとおりである(ただし、請求原因2(一)の事実、同(二)の事実中、被告内田の依頼によりとあることを除いて、その余の事実は当事者間に争いがない。)。
2 右1の事実を前提として、請求原因2(四)(被告大久保の義務違反)を検討する。
(一) 真正な登記の実現は不動産登記制度の根幹をなすものであるから、司法書士は、他人の嘱託を受けて、登記に関する手続について代理し、法務局に提出する書類を作成することを業務とし、右業務は法定の資格を有し登録された者のみに認められた専門的業務であることに鑑みれば、虚偽の登記を防止し、真正な登記実現について協力すべき職責を有する。したがって、当該登記申請に係る登記についての登記義務者と登記申請を委任してきた者との同一性の調査については、高度の注意義務を有する。しかし、登記申請の委任が必ずしも本人によってなされない登記実務に鑑みると、司法書士は、常に登記義務者本人に直接登記申請意思を確認する必要はなく、依頼者などに悪い評判がある等特段の事情がないかぎり、相当の注意をもって登記申請委任状の印影と印鑑登録証明書の印影を照合するなどによって右同一性を確認すれば足りるものと解するのが相当である。
(二) 司法書士の右(一)記載の注意義務を前提に被告大久保の責任を検討する。本件印鑑登録証明書(<証拠略>)の印影は、「内」の字の第三画の「丿」の部分が外枠に接続していないのに、本件委任状(<証拠略>)の訴外芳榮名下の印影では、接続していることが認められるが、両印影は、右の点を除いては微細な点まで酷似しており、右差異も、印肉のつき具合、押印の際のゴミの付着等によってしばしば生じる程度の差異に過ぎず、両印影の差異を平面照合によって看破することはとうてい不可能というべきである。前記一1(二)(7)のとおり、被告大久保は、両印影を自己のみならず、被告大久保事務所の金子寿作司法書士にも確認させているのであるから、相当の注意をもって同一性を確認したというべく、右照合において前記の差異を看過したとしても、これをもって直ちに被告大久保に過失があったとはいえない。したがって、同人には、後記五の損害に対する責任はない。
なお、司法書士は、登記申請が完了した場合には印鑑登録証明書を登記申請書類として法務局に提出してしまい、通常通知書回答欄の印影と印鑑登録証明書の印影とを照合することはできないのであるから、被告大久保に本件印鑑登録証明書の印影と本件通知書回答欄の印影を照合する義務はない。
三 被告織田の責任(請求原因3について)
1 請求原因3(一)及び(二)の事実については、前記一1(二)(6)ないし(10)のとおりである(ただし、請求原因3(一)の事実のうち、被告織田が本件保証書に署名、押印し、本件登記申請の保証人になったことは、当事者間に争いがない。)。
2 右1の事実を前提に請求原因3(三)(被告織田の注意義務違反等)について判断する。
不動産登記法四四条にいう登記義務者の人違いなきことを保証するとは、申請にかかる登記によって登記上不利益を受ける者が登記義務者として真意に基づき申請していることを担保するということであるから、保証書を作成する保証人は、善良なる管理者の注意義務を払って登記義務者として真意に基づき申請していることを確認する義務があるというべきである。しかるに、前記一1(二)(6)のとおり、被告織田は、登記義務者である訴外芳榮に対し、本件登記申請意思の有無を確認せずに本件保証書に押印し、保証人となったのであるから、右義務に違反した過失により、本件登記を信頼して、本件土地を買い受けた原告に対し、後記五の損害を賠償する責任がある。
四 被告国の責任(請求原因4、被告らの主張3について)
1 印鑑照合義務違反について(請求原因4(一)、被告らの主張3(一)について)
(一) 請求原因4(一)(1)の事実中、本件登記所登記官が登記事務を処理する国家公務員であること、昭和六〇年四月二三日その職務として、本件土地について訴外芳榮から被告内田への所有権移転登記申請を受理し、同月三〇日に右登記手続をしたことは当事者間に争いがない。
(二) 請求原因4(一)(1)のその余の事実及び同(2)の事実については、前記一1(二)(5)ないし(10)のとおりである。
(三) そこで、請求原因4(一)(3)及び(4)の登記官の過失について判断する。
(1) 登記官は、登記申請の形式的適否を調査する職務権限を有し、登記申請があった場合、申請者が真正な権利、義務者又はその代理人であるか、登記申請書及び添付書類が法定の形式を具備しているかを審査をしなければならず、右申請者が真正な権利、義務者又はその代理人であるかの審査は、申請書類中の印鑑登録証明書の印影と登記申請書ないしは登記申請委任状に押捺された印影を照合して行われるものであり、加えて、本件のように保証書による申請の場合には、右印鑑登録証明書の印影と登記義務者が通知書の回答欄に押捺した印影も照合されなければならない。しかし、右照合の具体的内容及び程度は、登記官の審査権がいわゆる形式的審査権にとどまるものであることに鑑みるときは、登記事務の大量、迅速処理の要請から右印影を肉眼で対照して両印影の大きさ、型、字体等に差異がないかどうかを検討すれば足り、特に疑わしい場合にのみさらに拡大鏡や印鑑対照検査機を用いて検査を尽くすことを要するものというべきである。
(2) 本件印鑑登録証明書(<証拠略>)の印影と本件委任状(<証拠略>)及び同通知書回答欄(<証拠略>)の登記義務者の印影を照合すると、本件印鑑登録証明書では、「内」の字の第三画の「丿」の部分が印鑑登録証明書では枠に接続していないのに、本件委任状及び同通知書では接続していることが認められるが、両印影は、右の点を除いては、微細な点まで酷似しており、右差異は、印肉のつき具合、押印の際に印鑑にごみが入るなどの原因でしばしば生じうる差異に過ぎず、両印影の差異を平面照合によって看破することはとうてい不可能というべく、登記官が右差異を看過したとしても、印鑑照合における義務を怠ったものとはいえない。したがって、この点についての原告の主張は理由がない。
2 閲覧監視義務違反、確認義務違反について(請求原因4(二)、(三)、被告の主張3(二)、(三)について)
(一) 請求原因4(二)(1)の事実中、本件登記所登記官が登記事務を処理する国家公務員であること、昭和六〇年四月二三日その職務として、本件土地について訴外芳榮から被告内田への所有権移転登記申請を受理し、同月三〇日に右登記手続をしたこと、同(2)、(3)の事実、同(4)の事実中、被告内田が本件印鑑登録証明書を利用して本件登記申請をしたことは当事者間に争いがない。同(三)(1)の事実中、右の争いのない事実は、同様に争いがない。
(二) 右争いのない事実のほか、本件印鑑登録証明書の窃取の状況は、前記一1(二)(5)のとおりであり、その後、本件登記がされるまでの経過は前記一1(二)(6)ないし(8)のとおりで、原告と被告内田間の本件売買がされるまでの経過は前記一1(二)(9)及び(10)のとおりである。
(三) 他方、<証拠略>によれば、昭和六〇年四月当時、本件登記所での閲覧監視体制は、次のとおりであったことが認められる。
(1) 本件登記所における登記部門は、正規職員三一名、臨時職員四名で構成され、そのうち、認証係四名と臨時職員二名が登記書類の閲覧に関する職務を行っていた。認証係は、登記簿及び附属書類の閲覧に関する事項、登記簿の謄本及び抄本並びに各種証明書の交付に関する事項、確定日付に関する事項をその職務とし、右二名の臨時職員は、閲覧者が閲覧する登記簿の書庫への搬出入を担当しており、閲覧者の閲覧監視業務は、認証係及び右臨時職員が右の業務と並行して行っており、閲覧監視業務を専門に行っている職員はいなかった。
(2) 本件登記所では、登記書類の閲覧席は、本件登記所の中央部に二五席設けられ、統括登記官の席が閲覧席の方向に向けて設置され、閲覧席の正面右には認証係の席が、正面には法人係の席が、側方には権利調査係の席がそれぞれ配置されており、閲覧席の背後は、登記簿等の書庫が設置されており、本件登記所の職員は、登記簿等の搬出入の際、右閲覧席を通って右書庫への出入りをする構造になっていた。
(3) 一三〇度の角度で自動回転している凸レンズの監視用ミラーを設置しており、閲覧者が多く、本件登記所が混雑するときには、これを回転させていた。
(4) 窓口及び閲覧席には、「登記簿・図面の閲覧上の注意事項」と題するプラスチック製の掲示板に「(1)登記用紙をバインダーからはずさないこと。(2)登記用紙をよごさないように気をつけること。(3)登記用紙に字を書きこんだりしないこと。(4)筆記するときは、えんぴつを使用すること。(5)筆記するときは、登記用紙または図面を下敷にしないこと。(6)図面はビニール袋から取り出さないこと。(7)閲覧が終わったときは、登記簿、図面を係員または所定の場所に返すこと。(8)筆記用具以外の荷物(カバン等)はロッカーに入れて入室のこと。」の八項目を記載して設置し、閲覧者の注意を促していた。
(5) 右(4)記載のとおり、筆記用具、用紙等を除く手荷物の閲覧席への持ち込みを禁止し、閲覧者用の無料ロッカーを二四個設置し、手荷物をこれに入れるようにし、右ロッカーは、閲覧者に利用されていた。
(6) 本件登記所では、閲覧後の登記簿などの確認事務はしていなかった。
(四) 右(一)ないし(三)認定の事実を前提に被告国の閲覧監視義務違反、確認義務違反による責任について検討する。
(1) 不動産登記簿は、不動産取引において、不動産に関する権利の得喪、変更の過程を公示することによって、その安全性と円滑化を確保するために欠かせない最も重要な資料であり、不動産登記申請書類は、不動産に関する権利の得喪、変更の真正を調査し、確認するための資料を提供し、右登記簿による不動産取引の安全と円滑化を担保する重要な資料であるので、登記官は、その保管登記簿及び登記申請書類の脱落、滅失、毀損について注意をし、常時右登記簿及び書類を瑕疵なき状態に保持する義務を負っているものと解される。そして、登記官は、右義務を尽くすために、たとえ、部外の第三者の巧妙、隠密裡の犯行によって右書類に改変が加えられる場合であっても、できうる限りの方法を講じて、未然にこれを防止し、また事後的にも発見除去に努めなければならない。
したがって、被告国は、登記官の不動産登記申請書類の保管に過失があり、そのために不動産登記申請書類の不法な抜き取り等が行われ、その結果、他人に損害が生じた場合には、特段の事情がない限り、国家賠償法一条の損害賠償義務を負うべきである。
(2) 本件登記所の登記官の閲覧監視義務違反の有無について
しかし、もとより法は不可能な義務の履行を要求するものではなく、登記官が多数の閲覧者の一挙手一投足を常時観察することまでは実際上不可能であるから、右の点までは法の要求するところではない。そして、この観点から検討すると、被告内田の本件印鑑登録証明書の窃取行為については、本件登記所の登記官が法の要求する閲覧監視義務を尽くしていたとしても、これを発見することは不可能であったというほかない。
すなわち、被告内田の本件印鑑登録証明書の窃取行為の状況は、前記一1(二)(5)のとおりであり、まず、本件印鑑登録証明書を貼付した台紙の綴じ込み部分に近い所をカッターの刃二目盛り分という極めて小型の刃を用いて瞬間的に切ったのであるが、この行動を観察していたとしても、外見上指で申請書附属書類の表面を撫でている動作と異ならず、特段不自然な行動であるということはできない。それは、例えば、登記簿のバインダーをはずして登記用紙を窃取するというような大きな動作を伴わないものであるから、これを発見するということは不可能であったということができる。
被告内田は、次に、前記一1(二)(5)のとおり、切り取った本件印鑑登録証明書を台紙ごとめくり、その上にわら半紙を乗せ、メモを取るようなふりをして、本件印鑑登録証明書をわら半紙の下に隠して、自ら持参したバインダーに挟み込んだのであるが、右の行動を観察していたとしても、外見上単に申請書附属書類の記載内容をメモし、持ち込みが許された筆記用具の一部であるバインダーにそのメモを挟むという自然な行動をとった場合と異ならず、切り取った印鑑登録証明書を窃取する行為であると看破することはとうていできないというべきである。
もっとも、筆記する際に登記用紙又は図面を下敷にすることは禁じられているのであるから(前記(三)(4))、右のとおり被告内田が台紙ごとめくった本件印鑑登録証明書の上にわら半紙を乗せてメモを取るような動作をした際、これを発見して制止すべきであったということはできる。しかし、被告内田は、メモを取るようなふりをしたにすぎず、これは短時間の行為であると解されるから、これを発見したとしても、制止する前に次の行動に移っていた可能性が高いし、右のような些細な行動を重大視して、被告内田の行動についてさらに調査し、窃取行為を発見すべきであったということはできない。
したがって、閲覧監視行為により、被告内田の窃取行為を防止しなかったことが、本件登記所登記官の過失であるということはできない。
(3) 本件登記所登記官の確認義務違反の有無について
次に、本件登記所においては、閲覧後の登記簿などの確認事務をしていなかったこと(前記(三)(6))が問題となる。
不動産登記事務取扱手続準則(昭和五二年九月三日法務省民三第四四七三号民事局長通達、以下「準則」という。)二一二条一号は、登記簿等の閲覧をさせる場合の留意事項として、「登記用紙又は図面の枚数を確認する等その抜取、脱落の防止に努めること。」との条項を設けている。
しかし、右の規定は、登記用紙又は図面に関する規定である。登記用紙の初葉には枚数欄が設けられ、枚数に相当する数字に登記官が捺印することが要求されている(不動産登記法施行細則(以下「細則」という。)六条二項)ため、枚数の把握が可能であるのに対し、申請書類綴込帳については右のような規定がなく、これを登記用紙と同一視することは直ちにはできない。
もっとも、閲覧申請のあった申請書及びその附属書類について、その枚数をあらかじめ数えた上、これを閲覧に供し、返還された後に、その枚数を確認する方法や、枚数を数えないまでも、右申請書及び附属書類について切除部分がないかを返還後に確認する方法をとるべきであったことが考えられないではない。しかし、被告内田は、本件印鑑登録証明書を窃取した際、本件印鑑登録証明書が添付された訴外芳榮と和田工業間の申請書ではなく、右申請書が編綴された申請書類綴込帳中の別の申請書について閲覧申請をしたのであるから(前記一1(二)(5))、右のような方法で被告内田の窃取行為を発見できたということはできない。
そこで、右の方法に併せ、申請書類綴込帳のうち、閲覧申請のあった申請書及びその附属書類以外の他の部分の閲覧を防止すれば、被告内田の窃取行為の防止が可能であったのではないかが問題となる。しかし、閲覧申請のあった申請書及びその附属書類以外の他の部分を一時的に閲覧することまでを防止することは、閲覧者の一挙手一投足を常時観察することを要求しない限り不可能である。
さらに、閲覧申請のあった申請書及びその附属書類のみを申請書類綴込帳から外して閲覧に供する方法をとれば、被告内田の窃取行為の防止が可能であったのではないかが問題となる。しかし、申請書類綴込帳は、登記簿と異なり、バインダー式帳簿(細則一条二項)ではなく、厚さ一〇センチメートル程度を一冊にして綴込帳の形式をとる(準則四八条)のであるから、その閲覧申請部分をいちいち右綴込帳から外してこれを閲覧に供するなどという煩雑な方式を要求することは不可能を強いることになるというべきである。
結局、申請書及びその附属書類の閲覧について枚数を数えるなどの確認行為が登記官に対し法律上要求された義務であるかが疑問である上、少なくとも、被告内田の窃取行為を防止することを可能にするような方法での確認行為が法律上要求されていたということはできない。
したがって、確認行為により、被告内田の窃取行為を防止しなかったことが、本件登記所登記官の過失であるということはできない。
(4) 以上のとおり、登記官には、原告主張のような閲覧監視義務及び閲覧後確認義務があるとして、本件登記所登記官は、右各義務に違反した旨の原告の主張はいずれも理由がない。
3 再使用防止義務違反について(請求原因4(四)、被告の主張3(四)について)
登記書類保管義務は、登記事務に付随する業務であるが、登記官は、右保管書類を提出された時の形状で十分な注意を尽くして保管すれば足り、それ以上に再度使用されないように措置を講ずる義務はないと解するのが相当である。
したがって、登記官に本件印鑑登録証明書を再度使用できないよう措置を講ずる義務があるとして、本件登記所登記官は、右義務に反した旨の原告の主張は理由がない。
なお、<証拠略>によれば、本件登記所では、本件事件の発生後に、登記申請書に添付された印鑑登録証明書には使用済の印を押印する扱いに改められたことが認められるが、右事実は、右判断を左右するものではない。
4 よって、被告国には、本件売買による後記五の原告の損害を賠償する責任はない。
五 損害について(請求原因5について)
1 <証拠略>によれば、原告は本件売買によって、次の金員を支出したことが認められる。
(一) 売買代金内金 一億一〇〇〇万円
(二) 登記手数料 四万四〇〇〇円
(三) 登録免許税 一一〇万三四〇〇円
(四) 不動産取得税 三〇万六七二〇円
(五) 固定資産税・都市計画税 七二万四七二四円
2(一) 原告は、本件土地によって得べかりし利益六〇〇〇万円を請求するが、原告が主張する右損害は、原告が本件土地を宅地にした上、建物を建築して売却して得られるであろう利益であり、その得べかりし利益を請求するには、それを取得すべかりし特別の事情が存在し、かつ、その事情が不法行為当時予見し又は予見し得べかりし場合であることを原告において主張、立証しなければならないところ、本件において、原告は、右事情の存在、右事情の予見の有無、予見可能性について何ら主張していない。したがって、原告の右得べかりし利益六〇〇〇万円の請求は失当である。
(二) また、原告は、前記1(一)の売買代金内金一億一〇〇〇万円について、貸主の旧埼玉銀行に対し、昭和六〇年五月二一日から平成四年三月三一日までに支払った利息合計金四七八一万四九四八円を本件における損害として請求しているが、右売買代金内金一億一〇〇〇万円相当の損害賠償債務は、金銭を目的とする債務であるから、民法四一九条により法定利率による損害以外の賠償は請求することができないものである。したがって、原告の右利息金相当の損害賠償請求は失当である。
3 原告が本件代理人に本訴の追行を委任し、報酬の支払約束をしたことは、弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件の難易、審理経過、本訴認容額等に鑑み、本件における損害として請求できる弁護士費用は、金一一二二万円とするのが相当である。
六 被告鈴木の責任について(請求原因3について)
被告鈴木は、請求原因事実を明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。
なお、前記五2のとおり、本件における原告の得べかりし利益六〇〇〇万円及び利息四七八一万四九四八円の各請求は、いずれも失当であり、右主張を総合すれば、原告が被告鈴木に損害として請求できる弁護士費用は、金一一二二万円とするのが相当であるから、右事実によって、被告鈴木が原告に対し賠償すべき損害額は、金一億二三四一万八八四四円である。
七 共同不法行為について(請求原因6について)
前記一記載の被告内田及び同大隈不法行為、前記三記載の被告織田の保証についての過失、前記六記載の被告鈴木の保証についての過失は、互いに連鎖的関係にたち、本件売買に伴う前記五ないし六の各損害の発生について客観的に関連しているから、共同不法行為にあたるものということができる。
したがって、被告内田、同大隈及び同織田については前記五の、同鈴木については前記六の各損害を各自原告に対し賠償する責任を負う。
八 結論
以上の次第で、原告の被告内田、同大隈及び同織田に対する請求は、各自金一億二三三九万八八四四円及び本件不法行為の後である昭和六〇年五月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、被告鈴木に対する請求は、金一億二三四一万八八四四円及びこれに対する右同日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、いずれも理由があるから、これを認容し、右被告内田ら四名に対するその余の請求、被告大久保及び同国に対する請求は、いずれも失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 塩谷雄 都築政則 田中千絵)
物件目録<略>